命の密度
「安全な逃げ道、スペースを与えることで
本来ならば行動していたかもしれないエネルギー、
いや彼らなら行動していただろうエネルギーを奪ってしまった」
そう言って 外山恒一は自分の 独立組織 DPクラブを 解散に至らせる
葛藤をしていた。(外山氏19歳のころ)
もしかするとこの論理は 命の密度と同じように当てはめることができる。
「幕末の時代の命の輝き、それは命が限られているのを肌で感じることができた。」
人は 自分の命の儚さを知るとき、 空しさではなく
激しく「生きたい」という情熱を 覚えるのではないだろうか。
それは「儚さ」に触発されるのではなく
人間の本能「危機感」ではないか、
儚さなどという 人間の新しい感情にどれほどの力があるのだろう。
僕は生きたい。激しく生きたい。
激しいはずの「本来の自分」を殺してはいないだろうか。
| 固定リンク


コメント